お祭りのあとのあとの祭り

 夜。お祭りの騒がしい熱気が背中の向こうへゆっくりと、しかしどんどん離れて行く。砂糖の焼ける甘ったるい匂いが薄まるにつれて、アルファルトの濡れた匂いが取って代わるように辺りに立ち込めて行く。肌寒くなる前に着ている浴衣が乾いてよかった。
「結局、雨あがってもーたなぁ」
先刻、とつぜん降ってきた通り雨を嫌って、急遽出店で私が買ったビニール傘の中から腕を伸ばした妹が残念そうに呟いた。その無防備な横顔、もちもちほっぺたの幼さと対照的に、伸ばしたその右腕を覆う、光沢のある青色の手袋の艶っぽさに私の胸がドキドキと高鳴る。
「なんやのん、雨降っててほしかったん?」
平静を装うように私が返事すると、妹は右手を引っ込めて、そのまま私が持ってあげているビニール傘の持ち手を、握っている私の指ごと掴んでくる。私の手を覆っている赤色の手袋と妹の青色が交わって、生地どうしがしゅるりと擦れるので、思わず私は目を逸らしてしまう。
「だって使わなもったいないやん、五百円もしたんやし! カサ買わんかったらお姉もこれ買えたのに。はい、あーん!」
妹が左手に持った鮎の塩焼きを私に突き出してくるので、相合傘の中で首を伸ばして、その白っぽいお腹にがぶっと齧り付く。ほろほろと剥がれる肉厚の身にまぶした岩塩の味付けが舌に心地良い。夏祭りと言ったらやっぱりこれだ。
「おいしい?」
さっきまでビニール傘の価格設定に苦言を呈していた苦々しい表情はどこへやら、にっこり笑って訊いてくる。もぐもぐと口を動かしながら私が首を縦に振ると、嬉しそうに妹が身体をぎゅっと寄せてくる。カランと音を立てる妹の下駄に視線を落とすと、赤い鼻緒に通された足指にも、つやつや光る青色の布地が浴衣の隙間から垣間見得て、もう、どこを見てもドキドキが止まらない。ああ、早く……。私はそっと袂からスマホを取り出して、パスコードを入力する。念のため、バッテリーの残量を確認する。
「あれ? お姉、どこ行くん?」
ひとけの無い恩浄寺沿いの四辻の歩行者用ミラーに、スマホを操作している私と、一緒にビニール傘を持ってる妹の浴衣姿が映っている。ここを左に曲がれば家路なのにも関わらず、なぜか真っ直ぐ進む私に対して、妹が首を傾げて訊いてくる。私は不自然に思われないよう最大限努力した笑顔を妹に向けて、今朝からずっと口に出そうとしていた言葉を思いきって吐き出した。
「ちょっと、寄り道して行かへん?」

 お祭り帰りの人たちは近鉄沿線が走っている北の方へ、まだまだ遊び足りない人たちは深夜近くまで出店が賑わう谷町筋か松屋町筋へ足を伸ばして東西へ……いずれにしても通り雨のおかげで傘をさして歩きやすい大通りへ向かいたがる人が多いようで、細い路地の入り組んだ町の南側は、去年よりも一昨年よりも、いつにも増してしんと静まり返っていた。特に寺町の隅にひっそり佇んでいる第三公園には人っ子ひとり気配も無く、ブランコの側の電灯に私たちふたりだけが侘しく照らされていた。濡れた砂場の匂いが、夜気をいっそうひんやりと感じさせる。
「うわぁ、穴場スポットやなぁ。お祭りの日ぃやーゆーてんのに誰もおらへんやんー」
きゃっきゃと騒ぎながら駆け出した妹がブランコに腰を下ろす。と同時にひゃっと小さく悲鳴をあげて立ち上がった。
「つめたっ! うーわーもぉ、お尻濡れてもーた……」
「さっきまで雨降っててんから濡れてるに決まってるやろ。しゃーないなぁ、ほら……」
ポケットからハンカチを取り出して、妹に差し出す。受け取ろうとするその手に手を伸ばすと、電灯の光を浴びて、赤色と青色とが混じり合ってチカッと強く反射したような気がした。目が痛い。
「……お姉?」
「…………」
眩暈がおさまると、私は妹へ渡そうとしたハンカチを持ったまま後ろを振り返り、そのまま傍の鉄棒をそれで拭き始めた。背中に妹から怪訝な視線を向けられているのを感じながら雨に濡れた鉄棒を拭き終えると、もう一度振り返って、妹をじっと見据えた。今、私はどんな表情をしているのだろう? と、余計な考えを巡らせるのが面倒臭くなってきた。えいやっ! と心の中で思い切って浴衣の帯に手を掛けた。
「ちょ、お姉! 何してんのん!?」
困惑する妹をそのままに、背中に手を回してくしゅくしゅ帯を解き終える。胴から帯布を抜き取って、雨露を拭き取った鉄棒を着物掛け代わりにして畳んだ帯を引っ掛ける。はらりと浴衣の前が開いた瞬間、身体を包んでいた熱気と外気が激しくせめぎ合うのを感じた。「補導」という二文字が脳内にとっても綺麗な字体ではっきりと浮かんでくると、寒気を熱気がねじ伏せた。いつもやっているように、ガバッと両脚を開いて腰を落とす。
「ハイグレッ! ハイグレッ! ハイグレッ! ハイグレッ! ハイグレッ! ハイグレッ! ハイグレッ! ハイグレッ! ハイグレッ! ハイグレッ! ハイグレッ! ハイグレッ!」
脱いだ浴衣は後ろ手で放るようにして鉄棒に引っ掛かるに任せて、夢中になって「ハイグレ人間になる」。妹に見せつけるようにハイグレし続ける。その様子をブランコに座りながらぽかんと眺めていた妹は、しばらくすると頭に浮かんだ「?」が「!」に切り替わった様子で、袂のポケットからスマホを取り出して私に向けた。瞬時、ポン! と効果音が飛び出す。
「ハイグレッ! ハイグレッ! ハイグレッ! ハイグレッ! ハイグレッ! ハイグレッ! ハイグレッ! ハイグレッ! ハイグレッ! ハイグレッ! ハイグレッ! ハイグレッ! ハイグレッ! ハイグレッ! ハイグレッ!」
スマホのカメラを向けられた瞬間、身体の熱気が一段階濃くなるのを感じて思わず声が上ずってしまう。妹がもう一度スマホをポン! と鳴らすまでハイグレし続けると、終わった頃には息も絶え絶えで、これは疲れているのか全く疲れていないのか、それすらよく分からなくなっていた。
「もぉ、お姉、ハイグレするん急過ぎ! 途中からしか撮れてへんで」
呼吸を整えながら、ハイグレ人間の格好のまま妹の隣のブランコに腰掛ける。身体中が熱いせいか、お尻の冷たさが心地イイ。
「えっへへぇ、今日は『ハイグレスパイごっこ』やぁゆーてたやん、スパイが今からハイグレ人間なりますーゆーわけないやん。それよりほら、ちゃんと撮れてる? はよ見せてーな」
ズイッと首を伸ばして妹のスマホを覗き込んで、再生を促す。
『ハイグレッ! ハイグレッ! ハイグレッ! ハイグレッ! ハイグレッ! ハイグレッ! ハイグレッ! ハイグレッ! ハイグレッ! ハイグレッ! ハイグレッ! ハイグレッ! ハイグレッ! ハイグレッ! ハイグレッ!』
録画された映像の中で、私がハイグレしている。赤い手袋と赤いニーハイソックスと、お股に食い込む赤い「ハイグレ人間」の証。ネットでこっそり読んだえっちな小説に出てくる登場人物を真似た格好。上ずった声でハイグレしながら振り乱している黒髪は、宵闇に溶け込んでよく見えないが、電灯を受けて全身の肌、特に顔は真っ赤に上気している。特筆すべきはその周囲。ガニ股で踏みしめているのは公園の土、後ろに見えるのはみんなが使っている鉄棒、背景には道路と公園を区切るフェンス。
「はじめてやなぁ、お外でハイグレするの」
妹が事も無げに、私の胸中を代弁するかのように呟くの聞いてビクッと身体が震える。私の秘したやましい想い、いやらしい企みを言い当てられたような気がして、怯んだ心の中に不安が入り込んでくる。ひょっとして、誰かに見られてしまったかもしれない。今も誰かに見られているかもしれない。下腹の辺りに冷たい恐怖を感じて、ハイグレ姿のまま素早く周囲に視線を走らせる。……誰もいない。
「どないしたん、お姉? なにキョロキョロしてるん?」
「い、いや、その…………ほら、ウチはスパイやからな! スパイは未転向者に見られへんようハイグレせなアカンやん?」
とっさに変な言い訳をしてしまう。いったん言い訳してしまうと、なんだか後ろめたさが心の中でむくむくと膨らんできて、一刻も早くこの場を立ち去りたい気持ちでいっぱいになってくる。頭の中で、妹の手を借りてもう一度浴衣を着付けるまでの時間を逆算して逃げ出す準備をしていると、妹がもう一度再生ボタンを押しながら楽しそうに口を開いた。
「すごいなぁ、これ。お姉、ほんまにハイグレ人間のスパイみたい。本物のハイグレ人間やなぁ」
『ハイグレッ! ハイグレッ! ハイグレッ!  ハイグレッ! ハイグレッ! ハイグレッ! ハイグレッ! ハイグレッ! ハイグレッ! ハイグレッ! ハイグレッ! ハイグレッ! ハイグレッ! ハイグレッ! ハイグレッ!』
「本物の、ハイグレ人間…………」
本物のハイグレ人間。その言葉の持つ魔力に、妹はまだ気付いていない。その魔力のせいで、頭の中のそろばんがグシャグシャっと御破算になる。スマホの中で、私がとっても気持ち良さそうにハイグレしている。まるで本物のハイグレ人間みたいに。
 私は立ち上がって、浴衣を掛けている鉄棒まで駆けていく。そしてそのまま浴衣に手を伸ばす。もちろん、着ない。こんなもの着たくもない。袂の中からスマホを取り出すと、ハイグレ姿のまま妹の隣へ帰っていく。
「ほらほら、交代交代! ウチはちゃんと脱ぐとこから撮るからな!」
「えぇ~、そんなん言われたら……なんかちょっと恥ずかしいわぁ……」
私が急かすと、妹がモジモジしながら立ち上がる。嫌がる素振りを見せながらも、鉄棒の方へ向かうゆっくりとした足取りが乱れない以上、恥ずかしいという言葉はただ言ってみただけに過ぎないのがよく分かる。今まで何度も一緒に「ハイグレ人間ごっこ」をやってきたが、妹と私とでは、それをする理由が全く異なっているのだから。
「このへんでエエ?」
「うん、バッチリ。ほな撮るでえ」
私のスマホがポン! と音を立てると、先刻私が立っていた鉄棒の前にいる妹が、私のスマホの画面の中でニヤリと笑った。
「ふふふ~、見破られたのならしかたない!」
映画の真似事をしながら帯の後ろに手を回す。「ハイグレスパイごっこ」ならではのアドリブを利かせたつもりなのだろう、ちょっぴり棒読み気味ながら、無邪気に発せられた「ハイグレ人間」っぽさに、私の胸が高鳴る。
「ふっふふふ……ふふふふ……ふふ、ふ…………お姉ぇ~、帯外れへん~」
思わずずっこけてしまいそうになりながら、スマホをブランコ側の鉄枠の上に載せて撮影を続けつつ、妹の帯を解いてやりに行く。しゅるりと帯が解けると、妹はその場でくるくる回り出した。
「あ~れ~、ごむたいなぁ~」
「どこで覚えてんそんな言葉」
解いた帯を、私のと重なるように鉄棒の上に掛け、再度ブランコの方へ戻る。画角を保ちながらスマホを持ち上げると、妹の身体が半分見切れていた。それに気付いていない様子で、妹が再びニヤリと笑った。
「ふふふ~、見破られたのならしかたない!」
もう一時停止するのが面倒なので、こちらで勝手にアングルを調節することにする。両手ではだけた浴衣の前を重ね合わせていた妹が、ガバッと露出狂みたいに両手を開いて見せた。いや、「みたいに」じゃないけど……と自分にツッコミを入れながらも、スマホ画面の中の妹の、それと知らずに開陳する痴態にゴクリと生唾を飲み込む。紫陽花模様を散りばめた薄桃色の浴衣の中から、つるつるんとした柔肌が勢いよく露出される。その身体に食い込んでいるのは、すでに見え隠れしていた両腕と両脚を包み込んでいる青色の光沢のある手袋とニーソと同じ、そして今、私が身にまとっているのと同じ、「ハイグレ人間」の証。姉が買ってくれた、一緒に「ごっこ遊び」をするための本格的な衣装。妹の認識としてはその程度のものに過ぎないだろう、しかし私にとっては……。
「いかにもっ! わたしはハラマキレディース様のスパイさ! はいぐれっ! はいぐれっ! はいぐれっ! はいぐれっ! はいぐれっ! はいぐれっ! はいぐれっ! はいぐれっ! はいぐれっ! はいぐれっ! はいぐれっ! はいぐれっ! はいぐれっ! はいぐれっ! はいぐれっ!」
映画のセリフの真似に加えて私の真似をして、脱ぎ去った浴衣を後ろに放り投げるが、どこにも引っかからずに砂地の上に着陸する。しかしそんなことなどお構いなしと言わんばかりに、両脚を私よりも大きくほとんど直角に開いた妹が、元気良くハイグレを披露する。羞恥心が芽生えていない分、私のそれよりもダイナミックな動作はもはや映画原作的な風情を超えて、ネットに溢れるえっちなハイグレ作品に出てくるえっちなハイグレ人間が現実世界に飛び出してきたような錯覚をさえ感じさせた。妹のサイドテールに結った髪がぴょんぴょん跳ねるたび、私の心も二転三転していく。
「はいぐれっ! はいぐれっ! はいぐれっ! はいぐれっ! はいぐれっ! はいぐれっ! はいぐれっ! はいぐれっ! はいぐれっ! はいぐれっ! はいぐれっ! はいぐれっ! はいぐれっ!」
振り下ろした腕は鋭く股間の前をクロスし、振り上げた両肘は肩を超えて高く、次なるハイグレに備える表情はあくまで真剣に。映画で観る「ハイグレ人間」とは一線を画すその動作を指導した最初の頃は、妹も「こんなん映画に出てけぇへん」と怪訝な表情をしたものだが、「新宿のシーンはこんなんやったやん」と無理やり説得し、今では完璧にこなしてくれる。ポン! と音を立ててスマホが撮影終了を知らせると、妹がハイグレを終えてこっちに駆けてくる。
「なあなあ、どないどない? ウチの方がお姉よりも上手に出来てたやろ?」
嬉しそうに目を輝かせながら熱っぽく私のスマホ画面を覗き込んでくる妹。私は再生ボタンを押して見せながら、妹の興奮の中に、私と同じモノが含まれているのかどうか、注意深く観察した。
『ふっふふふ……ふふふふ……ふふ、ふ…………お姉ぇ~、帯外れへん~』
「このへん要らんやん! はよ飛ばしてーなお姉ぇ。……お姉?」
「……ん!? ああ、ごめんごめん」
『はいぐれっ! はいぐれっ! はいぐれっ! はいぐれっ! はいぐれっ! はいぐれっ! はいぐれっ! はいぐれっ! はいぐれっ! はいぐれっ! はいぐれっ! はいぐれっ! はいぐれっ!』
シーケンスバーをスクロールして、妹がハイグレしている場面を指定する。その映像を視る妹の表情からは、今まで通り「ハイグレ人間ごっこ」を楽しんでいる、それ以上の感情を読み取ることは不可能のように思われた。残念なような、安心したような、複雑な想いがザラザラと胸の中をかき混ぜる。
「まぁ同点かな。最初の方グダグダやったし」
「えぇ~!? お姉きびしい~」
むくれっ面を見せる妹の頭をぐしぐしと撫で回しながら、手元でスマホを操作して、今まで一緒に遊んできた「ハイグレごっこ遊び」の撮影ファイルを遡ってみる。最初に妹のハイグレ姿を撮影したのが今から三ヶ月前、abemaTVでクレヨンしんちゃんの映画を一緒に観た直後の頃だった。無自覚な妹を利用してえっちな遊びをさせて三ヶ月……もう飽きられてしまうのも、そう遠くないように感じられた。だって、この子ったら野外に連れ出してハイグレさせても、なんにも感じてくれへんねんもん。

 ふたりしてハイグレ姿のまま、妹の手を引いて、砂場の向こうへ連れて行く。ジャングルジムの隣には、跨って遊ぶアヒルの乗り物が設置されている。これが、ここを「ハイグレスパイごっこ」の場所に選んだ最大の理由だった。
「これ、パンスト兵が乗ってるやつに似てるなぁ」
妹のその言葉を心の中で訂正する。パンスト兵「様」。苛立つ自分の心境に、なぜだか自分でもビックリしてしまう。そんな私を尻目に、妹が「パンスト兵様がお乗りになられているオマル号」に飛び乗った。
「つめたっ!」
「学習能力ゼロやな」
「うう……ええもん! さっきのハイグレでなんか暑ぅなってきたし、逆に冷たーて気持ちええもん!」
妹が反抗的にむくれながら、ちっちゃな手でハンドルを握って腹ばいになる。「ぶうぃ~ん」と唸りながら、サスペンションを揺らせて右へ左へオマル号を揺らせながら遊んでいる様子を眺めながら、私はそっと右手でスマホのパスコードを入力してブラウザを立ち上げた。
「ぶうぃ~んうぃ~ん……でもアレやなぁ、これ乗ってるんはパンスト兵やから、ハイグレ人間の格好で乗ってもあんましリアルちゃうなぁ」
「なんで?」
「いやなんでって……映画でやってたやん、これに乗って人間をハイグレ人間に変えるんはパンスト兵のお仕事やん、ハイグレ人間が乗るもんちゃうやん」
「誰がそんなん決めたん? 映画に映ってへん所で、ハイグレ人間も侵略活動のお手伝いしてたかもんしれへんやん」
「ん~、たしかにそういう考えもあるかもやなぁ。アレやろ、ギョーカンを読むゆーんやろ、このまえ国語の授業で習ってん。ちゃんと覚えててウチえらいやろ、どやっ! ……お姉?」
「そーゆーのんええから。想像してみて」
「お姉? なんやのん、さっきからなに怒ってんのん?」
「ええから、ちゃんと乗って。ちゃんと前向いて。想像してみて。オマル号に乗って、空飛んでんねん。右手にはハイグレ銃持って、地面に這いつくばってる未転向者にハイグレ光線びゅんびゅん撃つねん」
「う、うん……」
「どういう気持ち?」
「は?」
「ええから。今、どういう気持ち?」
「そんなん急に言われても……よーわからへん、想像できひんわそんなん」
業を煮やした私は、立ち上げたブラウザで検索した画像を、オマル号に跨って前方を視ることを強要されている妹の鼻先にぶら下げるようにして見せつけた。
「なに、これ……?」
スマホの中では、ひとりの女の子がオマル号に乗って、肩に担いだライフル型のハイグレ銃を未転向者に向けて発射しているイラストが表示されている。ハイグレ光線を浴びた未転向者は無様にもだらしなく舌を突き出しながら、股間から愛液を滴らせて光の中でハイグレの着用を開始している。光線を浴びせたハイグレ人間も、獲物を狩りとった肉食獣のような妖しい目を剥きながら舌なめずりし、自身も愛液をしとどにオマル号のボディにぶちまけている……私の大好きなハイグレ絵師様に描いていただいた、宝物のようなイラストだ。それを見せつけられて、妹の瞳に、明らかな怯えの色が、浮かんで、いる。
「ハイグレ人間になって、ハイグレしたら、気持ちええやろ? だから、ハイグレ人間は、未転向者にも、ハイグレ人間の気持ち、分かって欲しくなるねん。だから、ハイグレ人間も、ハイグレ銃担いで、オマル号に乗るねん。分かるやろ? 想像してみて。ちゃんと想像してみて」
 不意に、右手に痛みが走る。ガシャっと無機質な音を立てて、手に持ったスマホが地面に落ちると、私はやっと、妹に暴力を振るわれたことに理解が及んだ。
「……帰る。帰ってお母さんに言う」
オマル号から弾けるように立ち上がった妹が、そのままスタスタと鉄棒の方へ歩みだした。反射的に、私はその手を捕まえる。
「言うって、何を?」
「わからへん。わからへんけど! お姉、なんか怖いコト言うんやもん。もう『ごっこ』もやめる。帰るから、お姉、はやく浴衣着るん手伝って」
私は頭の中が真っ白に溶けていくのを感じた。妹は理解してくれなかった。妹は! 理解! してくれなかった! こんなに気持ち良いのに。こんなに素晴らしいのに。
 しかし、それも無理からぬことなのかもしれない。だって私は、妹にハイグレの素晴らしさをきちんと知ってもらおうとして来なかったのだから。自分だけ、楽しもうとしていたのだから。私は観念して、妹とふたり、手を繋いで、オマル号を離れて砂場を横切り、鉄棒の前まで連れて行った。そしてふたり分の浴衣と帯を手に取って、それをフェンスの向こうに放り投げた。
「ちょ、お姉! 何してんのん!?」
どさりと音を立てて、邪魔な布っきれがアスファルトの上に着地するのを確認すると、私は右手をせわしなく動かして、ブックマークしていた掲示板にアクセスした。

1:【大阪府】至急! 素敵なパンスト兵様求む♥【J ○でーす♥】(Res:1)
1:はいぐれ☆しすたーず(姉)◆ugR5kJ7mjv
 おバカな妹のハイグレ人間化に手を焼いてます! 一緒に転向を手伝ってくださるパンスト兵様、
〒543-007× 大阪府大阪市天王寺区××町 ××-××× 寺町第三公園 でお待ちしてまーす♥
赤色と青色のハイグレが目印です♥ はやく来てほしーな♥

 暴れる妹を押さえつけながら片手でスマホを操作するのは困難を極めたが、なんとか最後まで文章を打ち終える。私の身体の下で、先刻、楽しそうにハイグレしていた時よりも大きな声でぎゃーぎゃーと喚き散らしている妹が、なんだか哀れに思えてきたので、喋りたいように喋らせておくことにする。この辺に住んでいる人たちがこの大声に気付いて駆けつけてくるのが早いだろうか、それとも、白馬に跨ったパンスト兵様が颯爽と駆けつけてくるのが早いだろうか。祭りのあとは誰だって騒がしさに無頓着になるものなのだから、きっと前者はやって来ないだろう。しかし念のため、少しでもパンスト兵様に早く来ていただけるよう、私は先刻撮影した妹のハイグレ姿の映像を、掲示板に貼り付けて、もう一度催促の書き込みを打ち始めた。

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