魔王様の素晴らしさを再確認するわよ!

 お墓参りの帰り道、右手に広がる稲田から吹き抜けてくる冷たい風が頰に気持ち良い。立ち止まって麦わら帽子を脱ぎ、髪を搔きあげて帽子の下にこもっていた熱気を追い払っていると、視界に覆いかぶさってくる長い黒髪が鬱陶しい。いっそのこと切っちゃおうかなと、ひとりごちると去年も似たようなことを言っていたような気がする。でも、バッサリ切ったりしてクラスの男子に「あいつ失恋でもしたのか?」なんて根も葉も無いハレンチな噂話を吹聴されるのも面白くない……ああそうか、そういう視線が気になっているうちにロングが定着してしまっていたのか……なんてとりとめのない独り言を心中で呟きながら、畦道を遠くの方からこちらへ歩いてくる人影をぼーっと眺める。小学生の二人組だ。
「男子とかもうどうでもいいし、切っちゃおっかな……」
考えを口に出して言ってみると、思いの外名案めいて聞こえる。前方からやってくる虫取り網を抱え持った少年の姿にインスピレーションを受けて、小学生の頃のようにぴょこんと短いツインテールにしてみるのも悪くないかもしれない、と思案してみる。そうすれば、あのお方も初めて出会った頃の私を思い返して新鮮に感じてくださるかもしれない。
「ああ……」
せっかく涼んで追い払った熱気が再び身体の中に舞い戻ってくる。早く帰ろう。
「おいタカちゃん、あん姉ちゃん色っぺーな」
畦道の真ん中ですれ違い、耳をそばだててみると少年ふたりが興奮気味にひそひそやっているのが聞こえる。
「見かけねえ顔だな、スギやん。あれ絶対東京モンだべ。でねぇとあんなんふつう着ねぇべ」
「あんなんって何よ?」
「何よってアレよ、ワンピース白っぺーから透けて見えんべ」
「見えんべって何がよ?」
「何がよってアレがよ……アレって何よ……?」
あまりにも次元の低い会話にクスクスと笑いがこみ上げる。東京だとか田舎だとか、そんな下らない瑣末な違いでこの素晴らしさが理解できるわけがないのに。
 母の生家に帰ると、祖母が冷やしてくれていたスイカを一切れ食べて2階へ早々に引き揚げる。お兄ちゃんが今年から大学に入り、こういう年中行事にめっきり参加しなくなったのは好都合、あてがわれた部屋をのんびりと独り占めすることができる。
「はあ、気持ちいい……」
 先刻まで着ていたレースの入った白いワンピースを畳の上に放り投げて、生まれたままの姿、「新しい私」として生まれたままの姿で四肢を放り出して寝転ぶ。
「暇……」
帰省して3日もしないうちに、もうすることがなくなってしまった。祖父母や叔父叔母へ学業や高校生活といった近況報告もお墓参りも済ませたし、パンスト兵様より賜った光線銃も周囲のニンゲンに滞りなく射出している。夏休みの宿題は念のため持参して来ているが、わざわざ毎日のノルマ以上を消化する気にはなれない。こっちに知り合いはいないので暇を紛らわせる相手もいないし、この辺りは三方を山々に囲まれているせいで海みたいな気の利いたスポットも存在しない。
「美柑ちゃん、どうしているかしら……」
スマホを取り出し、メッセンジャーアプリを開いてインカメラに切り替える。液晶画面が鏡のように私の姿を映し出す。額に玉のような汗が流れ出していて、気だるそうに瞼が半分ジトッと閉じている一人の女。めいっぱい腕を伸ばして胸からお腹の辺りまで画角に入るよう調整してシャッターを押した。写り込んだ幅広の肩紐と、胸部の膨らみが落とす影やおへその浮き出た腹部、それらを覆う鮮やかな青色に思わず頰が緩む。「新しい私」のために用意され、着用を許された愛しい青色。
「早く帰りたい……」と、しょげた表情の顔絵文字付きのメッセージを添えて撮影した画像を送信するとすぐに既読が付き、1分と待たずに返信が届いた。心臓が飛び跳ねる。
「はあ!?」
思わず素っ頓狂な叫び声をあげて飛び起きる。
「こっちはと〜っても忙しいので、古手川さんはゆっくりしていていいですよ〜」と、やたらビカビカと星マークを散りばめたメッセージと共に添付された画像の中で、こちらに向かっていたずらっぽくウインクする美柑ちゃんがギュッときつく抱きしめ合っている。隣には私が生涯お仕えすると誓ったお方の姿……まるで私を小馬鹿にするかのようにペロリと出した美柑ちゃんの舌を今まさに貪らんと覆いかぶさっているその凛々しいパンスト頭……!
「私の断りもなく、なんてハレンチな……!」
立ち上がってうろうろと部屋を歩き回ることで込み上げてくる怒りをなんとか発散しようと努める。送られてきた画像の中で、これ見よがしに美柑ちゃんが着用しているピンク色の、私の「おさがり」。私が好意で貸してあげて、パンスト兵様のお手を煩わしてまで教えてあげた快楽、そして使命。その恩を忘れてこの、ハレンチな泥棒猫……!
 いや、いやいやいや、と頭を振る。美柑ちゃんは卑しい奴隷の身分でありながら人間であった頃の瑣末な用事で身を空けなければならなかった私の代わりに、忠実に職務を遂行しているに過ぎないのだ、と自分に強く言い聞かせた。美柑ちゃんがいてくれたおかげで、こうしてパンスト兵様も喜んでくださっている。ここは先輩として、後輩の仕事ぶりを労ってあげなければならない場面なのだ。断じて羨ましいなどと思ってはいけない。
「ああ、でも……」
「唯〜! どうしたの、何ドタバタしてるの〜?」
階下から祖母が訊ねてくる。私は美柑ちゃんが送ってきた画像を表示させたままのスマホを畳の上に置いて、窓辺に寄りかかるようにしながら大股になって中腰の姿勢を保ちながら階下の祖母に向けて声をかけた。
「ううん、なんでもない! 今からハイグレするから気にしないで!」
「ええ、わかったわ。頑張るのよ、唯」
得心した祖母がリビングへ戻って行く足音が聞こえる。先刻、小学生の男の子に向けたようにクスクスと笑ってしまう。パンスト兵様から賜った光線銃の効果はてき面で、祖母はいま、私に向かって頑張れと言った意味すら理解できずに納得してしまっているのだ。頭の悪い「ニンゲン」に対する優越感で少し愉快になる。この光線銃がハイグレ銃だったらもっと愉快なのに。いや、今はそんなことはどうでもいい。息を大きく吸い込んで、ピンと伸ばした両手を勢いよく肩の辺りまで振り上げた。
古手川挿絵02
「ハイグレッ! ハイグレッ! ハイグレッ!!」
 東京にいらっしゃるパンスト兵様を思って一心不乱に励んでいるといつの間にか日が沈み、夕食の時間にさしかかっていた。服を着るのも億劫で、そのままの姿でリビングへ降りて母方の家族みんなと仲良く素麺を食べた。
「あら唯ちゃんはハイグレがあるでしょ、洗い物はおばあちゃんに任せてお二階へお上り」
にこやかに告げる祖母にお礼を言って自分の部屋に戻るが、ひとしきりハイグレも捧げ終わってしまった感もあり、やはりすることがなく退屈だ。仕方なくまたスマホを開き美柑ちゃんからの返信が無いか確認するが、あれから反応がない。きっとパンスト兵様と夢中で……いやいやいや、とまた雑念を振り払いつつ、ツイッターを開いてみる。
 自分の真実の姿に気付いてからと言うもの、「ニンゲン」のためのあらゆる娯楽は無用の長物と化してしまっていたが、ネット空間は便利なもので、下劣なニンゲンにしては趣味の良い、それなりに話の分かる者が一定数、群れを成すようにして紐帯しているのを見つけ、以降観察するのが一種の趣味となっている。彼ら(あるいは彼女ら?)はあの頃の私と同じように、あのアニメ映画を見、その記憶が大なり小なり心に焼き付いて離れないという性質を抱えたまま、その鬱憤と無聊を互いに慰めあっており、その光景を哀れに思ったり同情したり、しかしパンスト兵様には接触を禁じられていたので遠巻きに眺めているに留まっていた。
「あっ。明日って、7月24日だったっけ……」
壁に掛けられている日めくりカレンダーに目をやる。23日(木)友引。折しも彼らにとって記念すべき日が目前に迫っており、当日にはささやかなイベントが行われるようだ。
「7月24日金曜日……みんなで一緒に映画を見ませんか……?」
誰ともなく提案が持ち上がり、好意的な反応、消極的な反応が返されている。とても微笑ましい。
 私には彼らの気持ちが手に取るように分かった。そこには一体感を得る手段以上に、非日常への入り口を希求する目的があるように思われた。彼らはあの作品がなぜこうも我々を惹きつけるのか、そこに尋常ならざる引力めいたものを感じていて、特殊な「力」が現実に存在するとさえ本気で考えている奇特な傾向が見受けられた。それを一手に束ね上げることであわよくば現実が歪曲されて、偉大なるハイグレ魔王様がこの世に現出してくださるのではないか、などと虫の良い妄想を並べ立てているアカウントもちらほら見かける。
「着眼点は悪くないわね」と、上から目線で彼らを眺めていると、先刻からいくつかのURLを貼り付けているアカウントの存在が目立つ。開いてみると、海外の動画投稿サイトが表示された。
「これって……映画……?」
似たような投稿者は複数のアカウントに渡り点在し、どれも冒頭に見慣れないアニメーションロゴが挿入されていたり、映像の縦横比が歪に変更されているといった違いはあれど、リンク先に提示されているのは全て同一の作品だった。それも、本編無編集の一括アップロード……。
 ふつふつと静かに怒りがこみ上げてくるのを感じた。彼らの集まりの中に、本来神聖視されて然るべきイベントに対し、横着にも違法動画を利用して参加しようとする不届き者が混じっているのだ。
「こんないい加減な気構えで事に臨むなんて……ただのニンゲンのくせになんてハレンチなのかしら……!」と、思わず歯ぎしりしながらタイムラインを睨んでいたが、冷静に思い直す。我々の指導者たる偉大なるハイグレ魔王様のお声を聞くことができないばかりか、その存在を薄ぼんやりとしか信じることのできない哀れなニンゲンのすることだ、ひとつやふたつ、みっつよっつ間違いがあっても仕方がない。
「しかし、惜しいわね……」と、スマホを放り投げてごろんと寝転がる。彼らが信奉する「力」が現実に存在するのは確かで、私や蜜柑ちゃんがその良い証明だ。それを信じて疑わない想いが正しく束ねられれば、偉大なる魔王様がこの次元に干渉する足がかりになるかもしれない。誰かが指導すればあるいは……。

 上から服を着て、叔父さんに借りた自転車に跨る。畦道は凸凹が激しく、街灯もまばらにしか設置されていないため、スピードを落として慎重にペダルを漕ぐ。辺りは静かで宵闇の奥から時々死にかけの蝉の声や番いを呼ぶ鳥の鳴き声が聞こえてくる。
 目当ての小学校は木造2階建ての小ぢんまりとした建物で、いかにも御誂え向きだ。自転車を停め、低い校門を悠々と飛び越えて校庭へ入り込む。
 宿直の教諭や用務員といった見回りのニンゲンがうろついているものと用心していたが、校庭から見る限り校舎には人影はない。スマホのライトを頼りに地面をまさぐり、手頃な小石を拾って廊下の薄い窓ガラス目掛けて上手投げに放り込むと、想像以上に鋭い大きな音を立ててガラス片が校舎の中に散らばった。目を瞑って耳をそばだててみるが、周囲に人の反応する気配はない。構わず割れた穴から手を差し入れて鍵を開け、アルミサッシをよじ登って校舎へ入り込むと、足元のガラス片を踏みしめるジャリっという音が廊下にこだました。
 なんとなく校舎内を散策し、目に留まった教室に入り込んで室内の電灯を点ける。何の変哲もない教室風景。生徒の数が少ないだけで、私の通っていた彩南小学校と大した違いは無い。壁には生徒の書いた習字や置き忘れたままの体操服がひとつふたつ、それに前方には綺麗にチョークの払われた黒板。ようやく目的地に到着。小さな達成感に笑みが浮かぶ。
 別にここじゃなくても良かったのに、とも思う反面、「指導」という言葉は学校という場所と切っても切れない関係があるように私には感じられた。きっと、風紀委員の性なのだろう。あらためて誰もいないことを確認すると、手に持っていたスマホを一番前の机に置き、着ている白のワンピースを脱ぎ捨てた。
 生徒用の机では高さが足りないため教壇を降ろして黒板の中心に据え、プリント類を収納する小箱を置いてスマホを立てかけて画角を調整する。録画を試行し、黒板の前に立って真新しいチョークを取り出し、上部に文言を書きつけて行く。
「は…い…ぐ…れ…どーじ…しちょー……と。これで良し」強調のため下部にラインを引く。
 家で軽く取ってきたメモを片手に要項を箇条書きにして列挙し終えると、試行のつもりだったが板書のリズムに乗って自然と思考が前のめりになっていくのを感じたので、そのまま本番としよう。チョークとメモ帳を黒板にいったん置いて、くるりと振り返る。
「ハイグレッ! ハイグレッ! ハイグレッ!!」とスマホカメラに向かって挨拶を行い、手持ち無沙汰なので再び物品を手に持ってみた。
古手川挿絵03
「では、原点に戻ってハイグレ洗脳と魔王様の素晴らしさを再確認するわよ!」
「ひとつ! 同時視聴は明日の7月24日21時にスタートするものとします! めいめいが適当な時間に視聴を開始しては意味がありません!」
「ふたつ! 視聴はツイッターを介して共有するものとし、感想は随時♯ハイグレ同時視聴のハッシュタグを付けて行うものとします! アクセスの不便な発言は足並みを乱すものと心得てください!」
「みっつ! 公式配信やDVD等を介しての視聴に限定するものとします! 違法アップロード動画等による視聴は、魔王様への冒涜です! 絶対にやめてください!」
「よっつ! 実況やタイムラインを眺めて原作映画を楽しんでください! 粛々と行われては魔王様も興ざめです! あのお方が我々を見ているものと心得、存分に楽しんでください!」
 
 言いたいことを言い終えると満足感が胸を浸した。もう不要なのでチョークも手帳も床へ放り投げ、再び大きく脚を開いて腰を落とした。
「それではみなさん、明日は大いに盛り上がりましょう! ハイグレッ! ハイグレッ! ハイグレッ!!」

 スマホの録画ボタンを押して停止させると、生徒机のひとつにお尻を載せてカメラロールを確認した。撮影時間は1分に満たないので、これならツイッターにも問題なくアップできそうだ。ニンゲン監視用のアカウントに撮影した動画を貼り付け、不要な開始部分、終了部分をトリミングし、自分で言った通り「♯ハイグレ同時視聴」のハッシュタグと共に動画をアップロードした。
 読み込みにはそれなりの時間を要するようで、なんとなく手持ち無沙汰に感じ、机に座ったまま脚をブラブラさせたり、外の風景をぼーっと眺めたりする。漸次、藪の中にキラリと光る何かを視線がかち合った。猫だろうか? 少しわくわくしてその方向を見ながら机から降りる。
「やべえよ見つかったっぺタカちゃん! はよ逃げっぺ!」
「おおお押すなよスギやん!」
窓ガラス越しにもハッキリと聞こえるくらいに狼狽したふたつの声が、藪の中をガサガサとかき分けるようにして遠くなっていく。
 どこから見られていたのだろう? 窓ガラスの割れる音でも聞きつけてやってきたのだろうか? 以前までの私なら、顔を真っ赤にして追いかけでもしたのだろうが、今の私にはどうでもよかった。せいぜいが少年たちの仲間内に「えっちな幽霊が出た」くらいに吹聴されるのが関の山だ。したいままにさせておこう。手元を見やると、投稿が完了していた。教壇と机を元の位置に戻し、電灯を消しながら、私は図らずも自分の心が浮き立つのを感じた。彼ら彼女らがするのと同じように、明日何かが起きるのを期待しながら、後ろ手で教室のドアを閉めて出て行った。

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